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zoom RSS 「医学と仮説」をめぐる意見交換について

<<   作成日時 : 2012/10/04 00:27   >>

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前の記事で「医学と仮説」を取り上げたが、その後本書をめぐって興味深い意見交換が科学哲学者と著者の間で行われていることを知った。

川端裕人さんのブログ:コメント欄で意見交換の行われたブログ(本文は本書の紹介と推薦)

伊勢田哲治さんのブログ:「つっこみ」と称して問題点が列挙されている
その1
その2
その3

自然科学分野の研究者としての感想を最初に述べれば、著者が本書を通じてメッセージを送ろうとしている対象ではない「特殊な読者」に対して、著者が相当な労力をかけているのは著者の時間がもったいないなあという印象を受けた。実験や自然科学のアプローチについて本書で指摘されていることを理解しなければならないのは、現実世界の政策や判断に影響を与える裁判官や官僚、医学者といった人たちであり、著者の記述もこうした人たちを意識したものである。よって、「つっこみ」と称する批判は科学哲学の世界では機能する意見かもしれないが、本書が標的とする多くの人にとっては意味がないか、あるいは細かすぎてついていけないという類のものが含まれている。本書は既に疫学を通じて決着がついている問題をあらためて人体実験しようなどという「善意の」医学者の存在や、科学に対する誤解に満ちた裁判所の判決といったものに対して、読者の行動(科学哲学を学ぶことも含まれる)を促す意図で執筆されている。本書が何のために書かれたのか、著者の社会へのアクションはどのようなものかを考慮して読むべき本ではないだろうか。伊勢田さんの批判の多くは哲学という世界に閉じていて、著者の現実社会に対する危機感からは随分離れたところにあるという印象を受ける。

本書の随所に哲学者を意識した謙虚な表現が登場するのは、著者が科学哲学に疎いからではなく、専門家に対する敬意からであることは容易に読み取ることができる。一般に自然科学では、数学による事象の記述が最も誤解が小さいという訓練を受けることから、哲学でしばしば見られる何らかの事象に抽象的な名前を与えて議論するという習慣がない。そのため、意図が通じるようならば説明としては機能していると考えることが多いが、哲学者にとってテクニカルタームは必須のようで、著者の哲学理解をレポートにしたら零点という実に品のないコメントも確認することができる。著者の試みは、疫学研究者が科学哲学側へと越境して、科学哲学の意義を自然科学側に引き寄せて訴えるというものである。このような自薦赤ペン先生みたいなことをwebで堂々とやられては、たまったものではないのではないだろうか。

冒頭のコメント欄での意見交換で、伊勢田さんが統計学の見方について自然科学者とかみ合わないところは、人文学者と自然科学者の議論がうまく進まない典型ではないだろうか。統計といえば検定という、一昔前の高校レベルの認識で自然科学の事象を見ているという事実は、自然科学者にとっては衝撃的であった。ブログでは量子力学の哲学入門という授業も担当されていることが書かれているので、どうして統計学についてここまで話がかみ合っていないのかは不思議である。著者の方は、最終的には科学者としてのディシプリンがない人とは科学について議論できないという判断に傾いているようにも受け取れる。個人的には、科学者としてのディシプリンがない人で社会は構成されているので、本書のような試みは大変重要と考えるが、一方で科学哲学領域からの「つっこみ」に対しては距離を置いても良いように考える。科学哲学領域では本書は話題にしてきちんと断罪しないといけないかもしれないが、そうした動きは著者が社会に対して起こそうとしているアクションとはあまり関係がないだろう。

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