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zoom RSS 「大学改革実行プラン」(文部科学省)についての雑感

<<   作成日時 : 2012/06/08 11:30   >>

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大学改革実行プラン」が文科省より発表されている。およそ5年間の計画で大学教育の質的転換を目指すものという位置づけである。計画策定に当たっては、官僚以外にどのような人たちが関わったのか、あるいは計画の発案、修正といったプロセスの詳細は明らかではないが、当該プランそのものが大学教育改革の必要性を非常に分かりやすい形で示しているような印象を受ける。

グローバル化、東日本大震災といった社会環境の変化が冒頭に掲げられ、人材育成の重要性が謳われているものの、さてどのような人材を育成することを目標とするかは必ずしも明確ではない。大学という組織の主要な目標が、社会に有用な人材を育成、輩出するというものである以上、理想的な卒業生の要件といったものが明示されていなければいけないように思うが、簡潔に示された記述はどこにも見あたらない。仕組みをいじることに熱心で、そもそもの目標がないがしろにされている。実施目標の各項目は相互の関係も不明で、思いつきをそのまま並べたようにも見える。個々の項目は、「ああそうかも」と同意できるが、計画書として見た場合は、まとまりにかける。科研費の申請書として審査すれば、「総花的で目標が曖昧。各プラン間の有機的なつながりがない。計画を実施した際に達成される将来像が不明。」などといった評価が並びそうである。

近年、国立大学では、医学部やあるいは先端的な研究を進めるクラスターなど、目標が明瞭な組織では、大学全体の改革を上回るスピードで、組織や教育改革が進められている。一方で、文系学部の多くは、まるで目標を失ったかのような姿を見せているところが多い。コンピューターによる人間の仕事の置換は急ピッチであり、グローバル化が実現している背景にはIT技術の進展がある。企業が雇用を削減させている動きの中には、不況ばかりが原因ではなく、本質的に数は不要になってきているという要因が見逃せない。

官僚を生み出してきた母体である文系学部そのものが、目標を失い、存在意義を見いだせていない。このことは官僚自身には到底認められない事実なのかもしれないが、現在停滞している案件の多くにこの問題が横たわっているのではないだろうか。原発事故の際に、保安院や安全委員会の技術官僚がまるで役に立たなかったということが次第に明らかにされているが、彼らは出身こそ理系かもしれないが発想は文系的な官僚社会の論理に染まっている。発電費用の計算ひとつまともにできないという現状は、電力会社、経産省の官僚、マスコミ、政治家、どのクラスターにもまともに自然科学の訓練を受けた人がいない(あるいはそうした人材を活かす素地がない)ことを示している。解決すべき喫緊の問題の多くは、ステークホルダーの満足度を最大化するという従来の情緒的な方針では解決不能である。場合によってはステークホルダーの一部を切り捨てるという判断が必要とされるが、その際のよりどころとして必要な基準が自然科学の思考である。

高等教育は文理問わず自然科学の方法を学ぶことに重点をおくべきであり、「数学が苦手な私は総合的な人間力で勝負」といった意味不明な考え方を棄てることが今求められているのではないだろうか。文系学部の多くはそもそも教育に時間をかけていないし、学生の多くは社会人までの時期をモラトリアム的に過ごして、直ちに「就活」に放り込まれる。こうした状況を文理問わず大学改革として取り扱うのは間違いである。文系出身の社会人が一生懸命「クリティカルシンキング」を学んでいたりするのは、実に滑稽な話で、それなら最初から自然科学の学部で勉強すれば良いはずである。クリティカルシンキングがもてはやされたりするのは、企業においていかに自然科学的の訓練を受けた人材が望まれているかの表れである。人事担当者は自分の出身母体を否定することに躊躇するのではなく、真に企業にとって役立つ人材を選ぶべきだろう。自然科学の訓練を受けた学生に、社会の仕組みを企業で教える方が、その逆よりは遙かに容易である。

文科省の資料を読んで残念な点は、ロジックの組み立てが極めてお粗末で、大項目、小項目の関係に論理性が見られないところである。「たくさんの思いつくアイデアを箇条書きにしてみて、似ている内容をまとめて大項目として名付けました」という雰囲気が濃厚である。通常は、大目標をかかげ、これを実現するために必要な施策を考え、これをさらに具体的に分割するという手順が取られるべきであるが、そうした手順がとられたようには見えない。メモ書き程度の代物である。こうした見通しの悪さはスライド資料にも顕著であり、一見して何がいいたいのかさっぱり分からない、busyな資料がてんこ盛りである。計画書とスライド資料との使い分けはどうなっているのだろうか。何のためにスライドを作っているのだろうか。このような計画書、プレゼンテーションの不出来を指摘し、改善できる人材を生み出すことが高等教育の一つの目標である。

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