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zoom RSS 「なぜ科学を語ってすれ違うのか‐ソーカル事件を超えて」ジェームズ・ロバート・ブラウン

<<   作成日時 : 2011/01/04 00:54   >>

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「サイエンス・ウォーズ」と呼ばれる論争について、私の知る範囲では必ずしも日本では適切に紹介されているとはいえないような気がするが、それは単に宗教的なバックグラウンドの問題ばかりではなく、西洋哲学の伝統とも関係があるのかもしれない。一人の科学者として見た場合、「ソーカル事件」のインパクトとは、ポストモダン思想の一部にはここまで知的退廃が進んでいるのかという驚きであったが、本書を読むことを通じて、そこにはより大きな思想的背景が存在することを理解できた。最終章まで読むと、本書は人間の営みの中で科学という手法をどう適切に利用するべきなのかというより高い次元のテーマを掲げていることが分かる。

序盤から中盤、特に中盤は社会構成主義の問題点が丁寧に批判されるために、自然科学者が読者である場合はかなりの忍耐を強いられる。クーンのいう「パラダイムの転換」が起こる際に、次のパラダイムが選択される根拠が社会的な要因であるなどという議論は自然科学者にとっては噴飯もので、議論するに値しない戯言である(例:フォアマンの量子力学の受容についての説明:ワイマール共和国の科学者たちは反知性的な機運の高まった社会環境に生きていた。そのため、厳密な因果律を放棄している量子力学を受容することは、自分たちに対する社会的評価を高める上でメリットがあった。そのため彼らは量子力学を積極的に受容したのである。)が、そうした議論が生じる背景を知っておくことは、非自然科学者が科学を理解し受容する際にどのようなハードルがあるかを知る上で意味があるだろう。科学の手続きを知らない人たちにとって、「パラダイムの転換」の際に起こることを理解することは非常に困難であり、一つ間違えば恣意的な転換と見られることすらある。「合理的論拠」に関する議論は本書の中でも重要な部分であるが、自然科学者にとって当然のことを説明するこの箇所はもしかすると成功していないかもしれない。しかし、「自然科学における「思考実験」のプロセスを説明することは社会構成主義には不可能でないか?」という問いかけは重要なもので、この問題の本質を突いているように思える。

後半の科学者の立場と代表制民主主義との関係についての議論は、事業仕分けに端を発した科学技術予算の問題を考える上でも重要なヒントを与えるものである。ある分野についてよく調べることを通じて専門性が高まることにより、浅い知識や感情的な判断から生じる大衆の意見と対立した見方が代議員に生じることが代表制民主主義のメリットである。科学についてはこの見方を反対方向にも適用して、社会の中での科学というアプローチの有用性を理解し、適切に説明できる代表者を科学者の中から選択し、科学者のもつ権利の多くを委任するというやり方が成功につながるのではないだろうか。国内には日本学術会議という組織があり近年社会的な発信が増えてきているが、今後はさらにその役割の重要性が高まるだろう。

社会と科学との関係を考える上では、ウィリアムズ・ジェニングス・ブライアンの進化論攻撃を取り上げた章も興味深い。個人的には著者も本書で指摘するように浅薄な理解しかできていなかったため、単なる愚か者というイメージで見ていたが、何故彼が進化論を攻撃するに至ったかを知ると、簡単な話ではないことが分かる。そして、裁判の経緯を知れば、科学者の社会への発信がどうして大事かということについても理解が深まるだろう。

自然科学者としては、人間の営みとして唯一成功を収めているアプローチである「科学」については、より普遍的に教育を進めるべきであり、日本国内でいう「文系」などというジャンルは本来ありえないと言いたいところであるが、究極の目標に至るまで、自然科学者は社会との対話という長い道のりを歩まなければいけない。

追記(2011.1.15):
 「海洋学研究者の日常」の議論、特に科学者の有るべき姿や、科学論についてのご意見は、私にとって大変勉強になるものです。私の記事がここでご紹介され、また多くの点で同意いただいたことはとても励みになりました。私の記事は個人的な感想が主体のため、これから本書を読む予定の方には些か不親切ですが、市川先生のブログでは内容についての紹介もございますので、この欄をご覧になった方にはこちらを是非お読みいただきたいです。
 市川先生の掲げられる科学者像への道のりは大変厳しいものですが、社会に対する責務をきちんと理解しない研究者の存在は、科学研究の将来を暗いものにしてしまうでしょう。科学者としての辛抱強い歩みに耐えられなかった結果として、社会への啓蒙活動をしている(ように見える)研究者は、科学という営みに対する背信行為をはたらいているように思います。本書にも描かれる、自分の浅い考えに都合の良い部分をつまみ食いして、合理的な思考プロセスを辿ることがない社会構成主義者の姿には本当に腹が立ちますが、そうした論者に迎合するような科学者サイド(世間から見てという意味ですが)の声があることも大きな問題です。彼らの声は大きいので対抗するには大変な労力が必要ですが、無関心を決め込んでいる多くの研究者の意識が変わっていくことにより、少しずつ変化をもたらすことができるのではないかと考えています。

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「なぜ科学を語ってすれ違うのか ソーカル事件を超えて」
2010年12月17日12時10分 一部修正 2010年12月21日01時50分 拙ブログ関連記事へのリンクを追加 2011年01月10日15時40分 他ブログの記事の紹介を追記 11月20日夜に「はてなブックマーク 最近の人気エントリー」を眺めていて、J.R.ブラウン著、青木薫訳の標記の本が「みすず書.. ...続きを見る
海洋学研究者の日常
2011/01/10 15:47
「東大理系教授が考える道徳のメカニズム」鄭 雄一
タイトルは出版社のアイデアなのかもしれないが、人文系の学者への配慮が逆効果をあげているようで、むしろ目を引くことになっている。著者は東京大学医学部出身で研究の展開により現在のポジションにいらっしゃるようなので、一般の方が「理系教授」として思い浮かべる人物像とはあるいは異なっているような気もする。本書は「人殺しはどうしていけないのか」という古くから取り上げられてきた哲学的な問いについて、自らの子どもたちを相手に分かりやすく議論するという内容である。理系らしさというのは議論の展開の方法に特に表... ...続きを見る
読書の記録
2013/08/14 00:22
「科学嫌いが日本を滅ぼす―「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか」竹内薫
本書は新潮45の連載原稿をもとに加筆修正されたものとのことであるが、単行本化にあたり順序の入れ替え等の編集が施されているため、各項目は比較的まとまった内容の論説になっている。出版社と科学者の間のジレンマの一つは、その本をどう売るかという方向から生じる問題であり、著者の意図しないタイトルが付けられることや、あるいは帯でミスリーディングが与えられることは日常茶飯事である。それにしても著者の作品はきわどいタイトルが多く、著者が科学の応援団を自称する一方で、科学に対する誤解やあるいは攻撃のきっかけ... ...続きを見る
読書の記録
2013/09/14 23:07
「背信の科学者たち」ウィリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド
本書はしばらく前まではブルーバックスから刊行されていたが、絶版状態であった。理研や分生研、医学部を舞台とした論文捏造事件が相次いで報道された本年、まさにタイムリーな再刊といえるだろう。帯にもあるが、大阪大学の仲野先生が強く推薦したこともweb では話題になった。本書は科学者のミスコンダクトを考える上では類稀な事例集となっているが、一方で平均的な科学者像を社会に広める上では非常に問題の多い著作と言える。トーマス・クーンはその主要な著作「科学革命の構造」によって、科学の社会への適切な受容を何十... ...続きを見る
読書の記録
2014/08/26 21:44

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
 一般法則論のブログを読んでください。
  一般法則論者
 自然科学は、この世界の成り立ちと仕組みを、確率的な偶然の法則、自然法則(因果必然の法則)、エネルギーの3語で説明尽くそうという理論です。
 しかも、自然科学者は、自然法則とは何か、エネルギーとの関係はどうなっているのかを、自覚的に意図的に未だ説明しないでいます。
 この世界観は、私達ヒト(宇宙大では宇宙人一般)という存在と私達が生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みは偶然に造られたものということになります。
 しかし、これではヒトの存在目的も存在理由も全く説明できません。
 科学の間違いを正すと・・
 →一般法則論
 一般法則論でインターネット検索してください。
一般法則論者
2011/01/04 03:26
>日本国内でいう「文系」などというジャンルは本来ありえない

とありますが、ここで主張されているのは、「科学的アプローチを理解する者だけが、(文系を含む)学問に携わるべき」ということですか?
たとえば、法学者が科学リテラシーを身につけた場合のメリットは色々と思い浮かびますが、
それは文系理系問わず学者になるべき人全員に科学的アプローチの何たるかを学ばせれば済むことで、
ジャンルそのものが攻撃されるべき理由はよくわからないのですが‥
しかし、そもそも法学自体が科学であるはずはなく、その必要もないわけです。
文系というジャンルがありえない、とはどういうことですか。
学者の卵全員に科学的アプローチを学ばせるべきであり、そこに文理の別を設けるのはナンセンスであるということでしょうか?
父は司法書士
2013/09/01 03:44
コメントありがとうございます。私の意図は「より普遍的に教育」のところに重点があり、「文系」云々は言葉足らずで、「文理という区別」というように受け取っていただけると有り難いです。また、学問に携わるものだけでなく、一般に広く科学リテラシー的な能力を上げることが社会にとって重要であるということが述べたかったことです。稿を改める必要がありますが、「科学知識」ではなく、「科学的態度」あるいは「科学のアプローチ」を身につけるためには、相当な教育資源をこれに充てる必要があります。「法学者が科学リテラシーを身につける」という順序より、むしろ初等教育や高等教育も含めて「法学者の育成過程に科学リテラシーが取り込まれる」ことが望ましいという意見を持っています。
 現在、「文系」とされている学問の意義に疑問を差し挟んでいるわけではありません。一方で、ポストモダンと呼ばれる領域では、法学の方も自然科学者と同様に驚愕することが必至の知的退廃が進んでいるということがソーカルが指摘したポイントです。
satoshi8812
2013/09/01 09:25
丁寧な返信ありがとうございます。
ソーカルの論旨は理解しているつもりであり、単に記事を読んでひっかかりを感じた部分に
質問しただけのつもりだったのですが、どうやら揚げ足取りに近いことをしてしまったようですね。
お詫びします。

ブログの記事をいくつか、たいへん興味深く読ませていただきました。
私自身は法学に携わっていませんが、かつて大学の文系学部に所属していた者として、読んでいてなかなかつらいところもありました。
科学にできることとできないことの境は私にとっていまだ不明瞭であり、また科学者は「できないこと」についてなかなか詳細に語ってくださらない。
個人的には、科学者と科学哲学者が手を取り合ってそれぞれの知見を新たなものへ昇華させてくれたなら、
そしてそれを一般人に向けて発信してくれたならありがたいのですが、難しそうですね。

また追々あなたの記事の「揚げ足取り」をするかも知れません(勿論そうならないように注意しますが)。
お付き合いくだされば幸いです。
父は司法書士
2013/09/02 08:14
ご連絡ありがとうございます。ネットでも様々な場で同様の対話がうまくいったりいかなかったりしています。私は「わかりやすさ」というのが大事なキーワードではないかと考えております。人文科学でも自然科学でも優れた研究者の発信の特徴はわかりやすさだと思います。わかりやすくすると当然いくつかの要素を省略することになるのですが、エッセンスを失わないように要約することで、接点を見出すことができるのではないかと思います。科学哲学の議論は、私たちにとっては難解で、どうしてそのような複雑な説明になってしまうのか、要約できないのは議論が整理されていないからではないかという疑念を持ってしまうことが多いです。

科学者が「できないこと」(わからないことと言っても良いでしょうか)を詳細に説明しないのは良くないことだと私も思います。別の問題になりますが、研究費を得るための方便が一線を越えているのでは?と思うこともしばしばです。

ご指摘いただくことは人文科学の研究者との交流が少ない私にとってとても貴重で勉強になるものです。どうか今後ともお付き合いください。宜しくお願い申し上げます。
satoshi8812
2013/09/02 08:34
お付き合いいただけるようで、嬉しいことです。ありがとうございます。

一般に向けた「わかりやすさ」については、文系学者にも深い葛藤があります。
この点については他の記事にコメントするのが相当ですが、その前にひとつ、無礼を承知で「謎かけ」をいたしましょう。

次のような要旨の言明があるとします。
「男性は女性より脳梁が細く、言語野で一度に扱える情報量が女性より少ない。
男性が女性の話を冗長だ、わかりにくいなどと嫌い、簡潔な言葉を好むのは、男性の言語能力が女性より低いからだ」
果たして、本当に男性は女性より言語能力が低いのでしょうか?

これを考える際、まず「何をもって言語能力か」というところから入るのが文系的態度の典型であることを申し添えておきます。
父は司法書士
2013/09/02 20:23
別記事にいただいたコメントに回答いたしますが、自然科学者であればいろいろと質問がでそうですね。定量が困難な指標が話題になっているところについては、相当警戒して読むのではないかと思います。Yes or Noをこの段階で述べる自然科学研究者はちょっとうっかりした人かもしれませんね。
http://satoshi8812.at.webry.info/201308/article_1.html
satoshi8812
2013/09/04 07:47

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