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zoom RSS 「入門 哲学としての仏教」竹村牧男

<<   作成日時 : 2009/11/01 11:26   >>

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仏教は他の世界宗教と比較して哲学的な要素が強い印象があるが、著者はタイトル通り仏教を哲学という場に持ちだしたときに、どのように捉えられるか、哲学において現在課題とされている問題に対して仏教の思想がどの程度有効であるのかを議論している。「人は如何に生きるべきか」という課題は有史以前から人間の思索の主要なテーマであり、こうした課題にモダンも何もないと思われるのだが、著者はしきりに仏教思想をモダン、モダンと持ち上げている。それほど、現代思想、ポストモダンに阿って議論する必要はないのではないだろうか。そのような議論に淫する閉塞した読者層に訴えるのではなく、文理問わず現代の知識人一般に問いかける方が有効ではないだろうか。仏教の様々な思索をダイジェストとして取り出し紹介する手際は素晴らしいものであるが、哲学というのは結局は既に語り尽くされているテーマをその時代その時代の人間が咀嚼できるように説明する営為であることを強く感じさせる。人にとっては常に同じような問題が生きる上での課題であり、その解決はまさに今生きるその人自身が試行するほかはないということだろう。

前半は分かりやすく仏教思想のエッセンスを語ろうとする姿勢が感じられて、著者の意欲を感じることができるが、中盤から後半にかけて、著者自身の馴染みの世界の中に耽溺して、読者へのサービスが減じてしまうのが少々もったいないところである。最後まで読者への丁寧な説明の姿勢があれば、より多くの人が最後まで読了できるのではないだろうか。特に仏教用語の意味の解説が行われなくなると、一般の読者にとってはさっぱり理解できなくなってしまう。また、仏教で登場する数の問題や階層については多分に修辞的な要素があるように思われるが、それらもそのまま紹介されてしまうところも難解である。何故、その数に分類されるのかが必然性のあるものと、あまりそうは感じられないものがある。現代人は列挙される事項が互いに排他的である例を当然と考えているが、古代の思想では必ずしもそうではない。そうした不思議さについても、少し説明があると、スムースに読んでいけるのではないだろうか。

そしてここでも「科学」を思想の一手法として捉える大きな誤りが見いだされる。

近現代史を概観すれば、今やキリスト教やマルクシズムといった精神的・文化的一元的価値が崩壊し、思想・価値観の多元化が進んできた。絶対というものはなくなったという、ポスト・モダンといわれる状況である。一頃は万能と思われた科学もまた、その絶対的な価値を失ってきている。科学技術は結局、種々の問題をひきおこしてきたし、主客二元論にもとずく対象論理と要素還元主義を特質とするその科学的知では解明しきれないことも多々あることが、広く認識されてきたからである。今や人類を覆う一元的価値のようなものは、存在していないことであろう。


ポスト・モダンというのは一部の哲学者における流行であり、近現代史における「状況」と呼べるような代物ではない。科学というツールによる人の生活の変化は、好むと好まざるに関わらず、遍く世界中の人に影響を与えているが、「ポスト・モダン」というのはそうした議論の好きな人たちが重視している認識に過ぎない。「科学」の絶対的な価値とは何を意味するのであろう。本質的に著者が「科学」について誤解があるということに過ぎないように思われる。「科学」は環境を理解する手続きと姿勢のことであり、キリスト教やマルクシズムなどと並列されるようなものではない。八百屋に鍬や鋤が並べられているのと同様の違和感を感じる。科学技術のひきおこした問題とは、思想の問題ではなく、「科学」という道具の誤った使用や、「科学」そのものが自然を記述する方法に不完全な点があったということである。現在もなお、「科学」による説明のできない自然現象はあるが、それはこれまでと同様取り組むべき課題が残っているということで、それ以上の意味はない。科学はその将来予測の正確性から、一般に万能というイメージを与えたかもしれないが、科学者の殆どは現状では「万能」にはほど遠いという認識しかないだろう。環境を理解する手法としての「科学」の優秀さについては、多くの科学者が信頼を寄せているというのが実際のところである。対象論理と要素還元主義を補完する新たな知の枠組みを模索しているのもまた「科学」の動きの一つであり、対象論理と要素還元主義を「科学」の動かぬ特質とするのもまた適切な理解ではないだろう。

著者の問題意識には鋭いものがあり、そこに仏教の思索が有効であるという指摘もまた重要である。しかしながら、著者が標的とすべき読者は一部の閉じた哲学の世界でなく、現代の本を読む全ての人であるべきである。そのためにも、「科学」の現在について著者自身がもう少し理解を深め、また仏教の門外漢にも理解できるような丁寧な説明が必要なのではないだろうか。

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