「明日をどこまで計算できるか?―「予測する科学」の歴史と可能性」デヴィッド・オレル

本書のもともとのタイトルはApollo's Arrowというものであり、その意味は予測の科学の歴史の中のエピソードとして登場する。洒落た原題と比べると翻訳は説明的であるが、本書の内容を過不足なく示している。冒頭からしばらく続く歴史の部分は些か退屈な記述もあるが、ケプラーの美しい法則ですら本人は楕円を採用しなければならないことに対して不満を感じていたことや、円の完全性に拘るあまり無数の周転円を採用することになった古典天文学など、興味深いエピソードをいくつか知ることができた。自然科学者が何を美しいと感じるかは時代による変化があることは大変興味深い。一方で、美的感覚は異なっていようが、一つの方向性をもって自然科学が進展してきたことも同時に理解することができる。

一方で本書のハイライトは間違いなく天候の予測に関する記述である。著者の専門分野であることもあり、かなり詳しい記述なのだが分かりやすく読むことができた。一方で、分子生物学のセクションは同分野の専門家であればもっと魅力的に書けるのではという印象を受けた(しかし専門外の領域でもここまで精確に記述できるということは著者の科学者としての基礎体力の高さを物語っている)。「天気予報は、科学における最大の「実現できなかったこと」の一つといっていい」とは歯切れの良い説明である。しかしながら、その後も丁寧に何故この問題が「複雑すぎる」のかが解説されている。

自然科学の制度的な欠陥について述べた以下の記述は、なかなか興味深い。

モデルがうまく機能しないことや、多額の予算を投じた戦術がうまく練られていないことを示す論文を発表するのは、特に、原稿の査読者がもともとそのモデルや戦術を開発した本人である場合には、難しいことだ。査読プロセスには多くのメリットがあるが、ある種の自己規制的な回避メカニズムに陥りやすい。
(中略)
予報誤差の原因としてカオスを受け入れることで、気象学者は、モデルが基本的に完璧であるという幻想を保つことができた。同じような誘惑は、科学のほかの分野にも存在する。


気象や経済という体系は局所的で社会的であり、そのモデルは精緻になればなるほど、未知のパラメーターの数が増える。モデル内の複数のフィードバックループはパラメーター化の小さな誤差に対する鋭敏性を高める。その結果、モデルは非常に柔軟になり、パラメーターをいじることによって過去にデータにフィッティングさせることはできるようになるが、正確な将来予測は相変わらず難しいままである。自然科学の強力さは将来を正確に予測できる点にあり、そのおかげで日食の予測もでるし、スペースシャトルも地球に帰ってくる。しかしながら、気象においては正確な将来予測は不可能なままであり、そもそもこうした課題は自然科学のテーマとして馴染むのかという疑問すらわいてくる。過去のデータに合わせるためのパラメーター調整にはもはや論理的な方向性や根拠はなく、過去の再現ができるようなモデルにするという後ろ向きの理由しかない。

地球温暖化をはじめとする環境のカタストロフィックな変化や人類滅亡の恐れには十分な根拠はないかもしれない。ただ、根拠がないから起こらないというのは誤った考え方であり、これまでも特に適当な根拠が見つからないものの実際に起こってしまった大惨事は数知れない。変化を敏感に察知し、現状維持を図るための努力をするというのが著者の考えかたである。様々なスタイルの服を毎シーズン展開し、流行を察知して素早くレパートリーを絞って大量生産するというZARA方式こそが、人類のとるべき道なのかもしれない。

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