「神は妄想である」リチャード・ドーキンス

「利己的な遺伝子」で有名なドーキンスの最新作は、これまでの主張を一段と明確に示したものであり、いかなる宗教あるいは宗教的存在をも一切退けるという意味で決定版とも言える内容である。また、これまで知識人の間で行われてきた宗教に関する議論をおさらいするためのリファレンスとしても価値が高い。

ダーウィン主義という大きな範疇では同士であるグールドが、最期まで宗教に対して明瞭な態度を示せなかったことと比較すると、ドーキンスの激しい姿勢は対照的である。現代の知識人の態度として一般的なものは、科学は科学の領域で追求を続ければ良いが、心の問題は宗教や信仰に任せましょうという姿勢であり、一見して異常な習慣や許し難い慣行、差別意識といったものであっても、宗教が関与する限りしばしば不問とされる。文明の多様性の尊重は、その中で子どもや女性に対していかに厳しい虐待が行われていようが、文明に優劣はないという相対主義のもとそれらの蛮行を見逃す。ドーキンスはこうした問題に対する強い怒りを原動力に本著を最後までゆるむことなく書ききっている。

科学が反論を許し、いつでも修正可能な開かれた状態で展開してきたのに対して、宗教は無条件の信仰を強制し、またそれが故に反論や修正は許されない。神の存在についての荒唐無稽な主張を次々と検証しながら(この馬鹿馬鹿しさは特筆すべきであるが、本著では欠くことのできない部分でもある)、宗教における思考停止、よそ者(異教徒)への異常なまでの攻撃性がいかに大きな損失を我々に与えているかが丁寧に示されている。数多くの議論で鍛えられたドーキンスは、科学が明るく照らした部分以外に生じる隙間を人の心は何で埋めれば良いのかという、宗教側にとっての最後の砦すら残しておくことはない。

自ら考え、判断ができない子どもたちへの信仰の刷り込みは、幼児への性的虐待にも匹敵するという箇所は特に激烈な宗教批判であるが、全くもってこの仕組みが今もって人々が宗教から離れることができない大きな要因である。「穏当」とされる宗教ですら、この罪からは逃れることはできない。日本人にとってはなかなか想像することは難しいが、神が不在であればどうして善悪を決められるだろうという嘆きは、宗教のもつ罪悪を端的に表しているだろう。日本人であればおおよそ了解できることであるが、神などいなくても我々は善悪を判断できるし、この善悪の感覚は宗教さえ絡まなければ世界共通といえる傾向を明瞭に有している。判断を自分以外の何かにゆだねることが何故これほど好まれるのか、この問題は宗教が発生し容易に受け入れられる理由を考える上では避けて通ることができないだろう。

前半部分を読んでいる間は、この本は誰のために書かれたのだろうかという疑念が去らなかった。つまり、ドーキンスファンであれば神の問題は自分が無神論者であることを表明するかどうかと言う問題に過ぎないが、信仰のある人間はおそらくドーキンスの著作は読まないだろう。即ち、これはドーキンスの読者への、あなたたちは間違っていませんよ、一緒に頑張りましょうというメッセージではないかと考えていたのである。しかしながら、後半へと読み進むに従いこれはそのような甘い内容ではなく、全ての宗教に対してNOを突きつける堂々とした宣戦布告であるということが理解できた。現在のアメリカの状況を考えると、このような著作を著すことは命の危険を伴う。しかもあらゆる原理主義を敵に回す著作である。世界中のたくさんの人たちが本書を最後まで読んで、今一度考えを深めるきっかけとなることを願ってやまない。

追記1:新約聖書の記述は後年、恰も全ての人間に対して説かれたように解釈されているが、ごく内輪のコミュニティに向けられたものであるというくだりは、個人的には納得のいくものであった。全ては神を信じる人に向けられたものであり、異なる神を信じる人や、無神論者のためではないという理屈は、キリスト教圏の人たちと付き合うと良く理解できる。Fairという言葉に対して、日本人はお天道様のもとでの公正をイメージして、どちらの立場に立っても納得できる条件を考えるが、欧米の人間にとってはそうした絶対的な公平さのような感覚とは異なるものではないだろうか。例えば、神の名においてfairであるのであれば、それは神を信じない者には適用されることはないだろう。

追記2:本書の帯には「あのドーキンスがなぜここまでむきになるのか?」とあるが、ドーキンスの思考を追ってきたものであれば当然の論理的な帰結ではないだろうか。むしろ、こうした本を別途著さなければならない欧米の社会的背景に目を向けるべきだろう。「むきになる」のではなく、根深い宗教に対するひるむことのない対決姿勢がそのように映るのである。日本における科学軽視の傾向は根源は欧米と同じ仕組みであろうが、神という明確な対象を持たない分だけ処方箋は出しにくいだろう。

追記3:神のみわざを知るというのが西洋における科学の動機の一つであったのは間違いがないが、科学的態度というのは必ずしも一神教を要請するものではない。その点で、今でも年配の研究者が科学というのは日本人にはなじまないと慨嘆することがあるのは全く持ってナンセンスであるように思う。




神は妄想である—宗教との決別
早川書房
リチャード・ドーキンス

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