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zoom RSS 「ノモンハンの夏」半藤一利

<<   作成日時 : 2013/01/31 22:32   >>

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第二次大戦前の満州国とモンゴル人民共和国の国境紛争であるノモンハン事件は、実質的には関東軍とソ連軍との局地戦であり、兵站の重要性の認識が勝敗を決したと考えられている。本書は司馬遼太郎と共に取材をした著者が執筆したもので、戦争そのものの描写はごく控えめであるが、関東軍及び陸軍の高級将校達が状況をどのように認識し、実際にどのように行動したかについては日記等の資料や存命者への取材をもとに細かく描かれている。当時のエリートの限界という見方もできるのかもしれないが、本質的な指導者の問題点そのものは現在もなお解消していないことに暗澹とさせられる。得られた情報が活用されずに個人の思い込みで判断が下されること、あるいは様々な課題があるときに何を優先すべきかを決定する基準を持たないために方針転換ができないこと、指導者がロジックをもたないために曖昧な指令しかできないこと、など今もって反省すべき材料ばかりである。そして、これだけ大規模な失敗を犯した参謀達の多くは責任を取ることなく、第二次大戦においてもその開戦を主導していく。福島の原発事故でも全く同様の構図が繰り返されており、結末も似たようなことになりそうである。経産省の官僚、保安院、東電、政治家などの役割はノモンハン事件のこの記録と些かも変わるところがなく、多くの一般人が犠牲になり、それが一顧だにされない点もよく似ている。振り返ればどう考えても無能としか評すことができない行為が、誰も歯止めをかけることができずまかり通ってしまう。本書で糾弾されている辻正信は愚かな参謀であるが、問題は彼のようなエリートを統制できない仕組みにある。口先や威勢だけで物事が動いてしまうのは、ひとえに科学的態度が集団に備わっていないからである。

著者は相当な勢いで陸軍の指導者や関東軍の参謀の責任を問うているが、本書のような叙述は、著者も同じ穴の狢であることを図らずも露呈している。司馬遼太郎の著作でもしばしば見られるが、本書は講談調で、随所に著者の見解や感情が差し挟まれる。全体としてどれが真の口述で、どれが著者の創作なのかは曖昧である(さすがにスターリンの独白を著者が知る機会はないだろう)。読者たる日本人は、ノモンハン事件において指導者は何を誤ったのかを知るべきなのであるが、様々なノイズのせいで、具体的にどこがどのように問題であったかをはっきりと了解することが難しい。このような情緒的な反省を繰り返していても日本人の問題は一向に解決しないだろう。

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