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zoom RSS 「「科学的思考」のレッスン―学校で教えてくれないサイエンス」戸田山和久

<<   作成日時 : 2011/12/25 21:59   >>

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専門的な科学知識ではなく、科学者であれば共通して身につけているロジックを非科学者に適切に伝えるにはどうしたらよいかという課題は、大げさな表現をすれば、民主主義的な意志決定の基盤として解決しておく必要がある。本書はその困難な課題に対する一つの素晴らしい答えになっている。たくさんの論点が整理されており、今後、同様の試みにトライする人たちにとって非常に参考になる内容が含まれている。

過去の科学にも誤りがあったとか、科学は仮説の集合に過ぎないとか、明日にも学説は覆される可能性があるといった表現は、いずれも科学者に尋ねればその通りと答えることは間違いない。しかしながら、非科学者がそうした回答から認識する科学像と科学者がもつ科学像とは大きな懸隔がある。科学者は科学の方法、アプローチに絶大な信頼、確証をもっているが、それらを用いて得られる知見についてはあくまで近似的なものに過ぎず、よりすぐれた近似が将来得られることについて確信を持っている。つまりそれは、「科学により得られた知見は、私たちをとりまく自然現象に渦巻き状に限りなく近づいており、中心から遠ざかることはない」という確信である。現在では明瞭に誤りであることが証明されている仮説であっても、その多くは当時ではかなりいい線で自然を近似できる解答であったことを忘れてはいけない。一方で、人文科学的な議論では、自然現象のように中心として比較できる基準がないことから、中心からの距離は通常測定不能であり、善し悪しの判断は相対的なものとならざるを得ない。人文科学の論争はしばしば、知識の多寡の競争であったり、あるいは表現の妥当性に関する揚げ足取りであったりするが、客観的な決着をつけることは不可能である。聴衆は両者の議論を聞いて個人的に判断をするほかない。科学哲学の一部の領域では、こうした人文科学的な相対モデルを科学に対してそのまま当てはめることから、科学者からすれば荒唐無稽なナンセンスな議論が展開されてしまう。著者はクリティカルシンキングについてもふれているが、これも科学者にとっては不気味な用語の一つで、クリティカルでない考えとは何の役に立つのだろうという印象を抱く科学者は多いだろう。

演繹的推論と非演繹的推論を解説した箇所では、情報量が増えるかどうかと言う分類を加えることにより、何故科学では実験や検証が要請されるのかという問題にわかりやすい解説を与えている。正しい予言(予想)が与えられることも科学で得られる知見の一つの重要な特徴であるが、これについても同じ流れの中で解説されている。文科省の勘違いアピールを例にあげて、擬似的な相関関係が生じるメカニズムについても丁寧に説明されている。相関関係があったとしてもそれが因果関係となるためには様々な検証が必要であるが、そもそも相関関係すらないデータが、グラフという形を介して証拠として採用されていることも多い。

不勉強で、「全てのアメリカ人のための科学」が、1995年には「科学リテラシーという神話」(シャモス)という形で否定的に総括されていたことは本書を通じて初めて知った。「全てのアメリカ人のための科学」は大変良くできた本で、これくらいのことを一般市民が理解しているとさぞかし無駄な議論が減るだろうと思わせる内容である。しかしながら、本書でも指摘されているように、「科学」を「科学で得られた知識の総体」として捉えているようでは、科学という営みの実体を非科学者が理解することにつながらないというのもまた事実である。基礎科学の成果を幅広く知っていることが、「科学」という活動を適切に認識することではないことは、文科省の官僚たちがセンター試験で高得点を取っていることからも否定されるだろう。

非常に優れた内容と方向性を示す本書であるが、最後のところで、非科学者にとって科学者あるいは疑似科学者が発する情報を解釈することがいかに難しいかという実例を図らずも示してしまっている。ICRPのカウンターとしてECRRの主張を取り上げ、原発事故による影響を議論しているが、ECRRおよびその代表であるバズビーが果たして科学的に妥当な主張をしているかという点は著者には判断不能ということであろう(サイエンス・メディア・センターの議論も興味深い)。ICRPの主張が全くもって正しいわけではないというのは妥当な判断のように思うが、科学としてのintegrityを比較した場合、ECRRの主張には問題が多い(その他に、バズビーの科学者としての業績や活動については、「忘却への帰還」の記事が詳しい。)。むしろECRRをカウンターとしてその仮説が大いに科学的に問題があるとされた際に、健康被害に対する評価がより安全側に誤って評価されるという危険性について留意すべきであろう。

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