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zoom RSS 「食卓にあがった放射能」高木仁三郎、渡辺美紀子

<<   作成日時 : 2011/09/25 22:25   >>

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福島の原発事故を受けて新装再発された版を購入した。4月に再発行された後、8月に第4刷となっている。著者は東京大学原子核研究所助手、都立大学理学部助教授を務めた後、マックスプランク研究所研究員を経て、「原子力資料情報室」を設立している。全くの認識不足で、これまで著者や原子力資料情報室の活動について、今回の事故を期に初めて知ることになった。著者は多数の著作があるので、これまでもその一部を目にしていた可能性はあるものの手に取ることはなかった。「脱原発の市民科学者」というキャッチフレーズを見て、事故前の自分が関心を持ったかどうかを考えると、残念ながら見過ごしていたのかもしれない。著者の経歴を見ると「市民科学者」という表現は適当ではなく、本当の科学者がアカデミズムを離れて活動していたというスタイルのようである。東京電力を枠組みとした原発推進組織の巨大さ、周到さを考慮すれば、科学者がアカデミアの中でアカデミズムをもって対抗することは不可能であり、こうした形での活動には選択の余地はなかったものと想像できる。京大の小出浩章さんが、ともすれば文明のありかたというところまで踏み込んでしまうために、様々な異なる意図をもった人たちに利用され、その重要なメッセージに余計な色がつきやすいのに対して、より科学側に重点をおいて活動されているという印象をもった。科学者が社会と関わる上での姿勢を考える上でも、両者の比較には意味があるかもしれない。今後もう少し代表的な著作を中心に読み込んでいきたい。

本書は共著者の渡辺美紀子さんのトーンが強く、スタンスの違いは巻頭言を比較しても容易に了解できる。渡辺美紀子さんの経歴は不明であるが、おそらく自然科学研究の訓練を受けた方ではないのではないだろうか。本書では新聞記者とのやりとりが味付けとして利用されているが、ともすれば新聞記者と同質の相対的な議論に陥りがちな部分に少し危うさが見える。様々な国がそれぞれの食品に対する放射能汚染の基準を持っており、平常時、緊急時でその値がそれぞれ異なるという現状を理解するには、放射能に対する健康被害の様相がどのようなもので、リスク評価についてどう考えれば良いのかという視点が欠かせない。残念ながら本書ではそこまでは踏み込まれていないために、「ある規制値に対して遙かに高い数値だから、とても恐ろしいことだ」という、説得力の低い表現が散見されることは少し残念な点である。

本書の議論のもととなるデータはチェルノブイリのものであるが、具体的な数値や汚染状況、ヨーロッパ各国の対応などを読むことにより、現在進行中の原発事故について、読者が自分の評価を下すための情報を得ることができる。チェルノブイリ事故におけるソ連政府の隠蔽は有名であるが、西欧諸国についてもとても褒められたものではなく、政府の情報の隠蔽により多くの被曝が起こってしまったことも述べられている。本書では、情報隠蔽はけしからんなどという批判はそれほど強くなく、日本周辺の国の原発事故の可能性まで見据えて、実際に起こりうる事故の際に必要な個人の対応に焦点がおかれている。今後予想される海洋汚染についての記述、情報が些か少ないことが残念であるが、淡水魚やきのこ、穀物に関する実際のデータは大変興味深いものである。

政府や東京電力、そして事故後安全を吹聴した学者達に共通して酷い点は、今後生じる可能性のある発がん者数の増加という事象は、確率的で、誰が被害者とは特定できないということを熟知している点にあるだろう。発がん者数は増加するだろうが、誰が原発事故の影響かという問題について個々の因果関係を特定することは不可能である。因果関係が不明であれば、賠償責任を確定することもできない。発がんした人は、個々に見れば放射能が原因かもしれないし、あるいは喫煙等の生活習慣、あるいは避難時のストレスによる免疫能の低下が原因かもしれない。アスベストと中皮腫くらいの強い相関がないことには個々の事例の議論は極めて困難である。こうしたことを理解した上で、「ただちに影響はない」という有名なフレーズが生まれるわけで、歴史的にみれば当然の判断なのかもしれないが、政府は「個々の」国民の健康については関心がないということが浮き彫りとなっている。今後の疫学調査についての期待感を隠しきれない様子の医学者についても、もう少し慎み深く、個人の健康について思いをはせることはできないのかという気がする。

今後は放射性物質による内部被曝の危険性が重視されるが、食品別に検出された放射性物質のカウントが並んだ表を眺めると、食品中に含まれる発がん物質の一覧表を思い出した。今回の事故は、一般の人たちが発がんリスクについて考える重要な機会となるだろう。発がん物質に同程度に暴露されても癌を発症する人もいればそうでない人もいる。ヘビースモーカーの全員が肺がんで死ぬわけではない。しかしながら、そうした理由で発がんリスクの上昇を軽視することは誤りである。人間は確率的現象に対して数学的に正しい判断を直感的に下すことができない(むしろ直感的な判断は、数学的には誤りであることが多い)。よって、正しくリスクを評価するには意識的に勉強し、自らのバイアスを修正するしかない。測定の重要性、発がんリスクの数量的な理解といった今までであれば専門家にまかせておけば良かったことを、自らが判断しなければいけないという時代が到来したことが明らかとなったように思われる。

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