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zoom RSS 「官僚の責任」古賀茂明

<<   作成日時 : 2011/07/31 21:27   >>

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「日本中枢の崩壊」から読むべきと思われるが、先に新書版のこちらを手に取った。話題の官僚で、与野党の政治家が著者をサポートしており、経産省の辞職勧奨も今のところは空振りに終わっている。退職官僚や非主流派に追いやられた官僚の著書はこれまでにもたくさんあり、近年では高橋洋一の一連の著書が有名である。非官僚の著作としては、猪瀬直樹の道路問題や長谷川幸洋の一連の著作も非常に情報量が多い。現役官僚は組織の人間なので、著者のような事例は比較的少ない。これらの官僚をテーマにした著作群を抽出すると、官僚の生態というものがかなり明瞭に描き出されるが、これだけ問題点が指摘されているにも関わらず、その実態には何の変化もない。仕組みが変わっていないので、官僚自身も変化しようがないというのが実際のところであろう。これも多くの人が指摘するところであるが、中国の科挙制度の末期を想起させる状態であることは、今回の震災、原発事故への対応、あるいは社会保険庁の出鱈目ぶりを見ても明らかである。そういう意味では、本書において新たな問題点が提示されていると言うことはなく、従来から指摘されてきた宿痾が改めて現役官僚により、実名を交えて率直に描かれているということが本書のポイントだろう。

本書を読んで、特に後半の提言に感じるところであるが、官僚や政治家という既存の枠組みの中で、国家を憂う人間たちが集まればまだ何とかなるという認識があることに大きな違和感をもった。東京電力という企業や保安院、エネルギー庁という役所に見られる傲慢な意識や計画性のなさは、「東京大学法学部卒のエリートが国を動かす」という我が国の方針の目を覆うばかりの失敗を示しているのではないだろうか。国民の勤勉さや人口増、都会への集中、世界的な経済情勢と言った様々な好条件が重なった戦後においては、彼らの失策はあまり目立たなかっただけで、厳しい国家の舵取りが要請される現在、東京大学法学部卒業の秀才という程度の粗い人材の集め方には大きな問題がある。率直に言って、全く間に合っていない。政治の停滞という話題がしきりにマスコミを賑わすが、管総理の次代の総理候補が見あたらない状況で、本質的に急がなければならないのは実務に耐える政策決定者のリクルートなのではないか。官僚や政治家、巨大企業の思惑で何かを決めるのではなく、後世の検証に耐える賢明な判断こそが要求されているのではないか。

東京大学の児玉先生の衆院厚労委院会での訴えが、ネットを中心に話題になっている。児玉先生は医師であり、アイソトープセンター総合センターの長であるだけではなく、巨額の基礎研究プロジェクトを推進する立場にある。一流の科学者が、調査により得られたデータと、その科学的な解釈をもって、国家が急ぐべきことを具体的に提言している。科学者でない人たちには分かりにくい箇所もあるだろうが、一般に同じデータを与えられれば、今後の対策において科学者間でそれほど大きな食い違いは生じないだろうと思われる内容である。大きく食い違うようであれば、それは科学の手続きを正しくできない三流科学者か似非科学者だと思われる。復興構想会議等で見られる右往左往した議論や、腰の据わらない方針と比べれば、何故その対策が重要で、現在何をすべきかが大変分かりやすく述べられている。より優先すべき施策が有るというのであれば、それは論者が新たにデータを提示して児玉先生と議論をすれば良いだけである。しかもその議論の判定は科学者であればおおよそ等しい結論がでるはずである。簡単にいえば、非科学者の議論が何らかの思惑で意志決定があるために、パワーゲームに陥りがちであるのに対して、科学的な議論というのは第三者的な評価がしやすいため、力のある科学者の意見であろうと、誤っているものはいずれ淘汰される。政府が今回のような具体性の有るプランを直ちに採用しないとすれば、それはこれだけの未曾有の被害を目にしてまだ我々は無謬であるという奢りか思考停止でしかないだろう。

以前も指摘したが、官僚の中には、自然科学者に対する密かな憎悪があると考えると、様々な出鱈目な方策を理解しやすい。現在は、明治国家のご時世とは違い、様々な施策の裏付けとして科学的な判断が欠かせない。利害が衝突し、うまく政治が判定できないときに頼るものこそ、「科学」的なアプローチによる解決である。「科学」のアプローチは理想的には、得られる全てのデータを公開して、それをもとに科学者が公開で議論し、評価するという手段である。この場合、御用学者などいうレッテル張りは必要ない。現状を把握せず、空論を弄ぶ御用学者は、適切な科学の議論の中では単なる愚かなプレイヤーに過ぎない。「科学」というアプローチにも思惑が存在すると思いたい一部の科学哲学家の手により、誤ったイメージが論者には広まっているが、「科学」の議論の中にはどこにも「思惑」が入る余地はない。より妥当な判断と、より拙い判断、あるいは現時点ではどちらがいいかわからないという三つの結論があるだけである。本来ならば、科学的には結論がでない選択について「政治」が登場するのが正しい手続きである。ところが今や「科学」から得られる方針は、たくさんの「思惑」の一部に成り下がっている。「思惑」を支える三流の学者達は、決して科学的な議論を他の科学者が検証できるような形で交わすことがない。国民のパニックを恐れ、重要な情報を開示しようとしない現在の国家は、科学者の協力を得る機会を進んで失おうとしている。「原子力村」と揶揄されるコミュニティの科学者たちは、重要な隠蔽データを見る機会があるにも関わらず、テレビにおいて安全プロパガンダ活動に従事した。この事実は永遠に消えるものではなく、何度も検証され、何度もその不誠実な態度が批判されることだろう。

有名なITエンジニアである中島聡さんのブログも興味深い。このブログは「理系少年のうんちく」というキーワードにも見られるように、「理系」という要素を前に出しており、従来は同じ領域の読者や私のような理系の研究者の読者が楽しむものであった。ところが原発事故以降、その原因の検証の記事が続き、ついには「ネット新党」が提言されるようになっている。中島さんのブログに池田信夫がTwitterでかみついた事件は非常に分かりやすい図式を提示しているが、池田信夫は原発事故以降、科学者が納得できるような合理的な提言をしたことがあっただろうか。文系の学者は池田信夫で代表されては閉口するだろうが、分かりやすく「思惑」を抜いて事象を議論するという訓練ができていない人間こそが、原発事故対策における「素人」である。中島さんは科学者であれば疑問に思うことを取り上げ、それに対する適切な対処を提案している。この場合、科学的なアプローチとは公開されている(あるいは自らが得た)データをもとに、一つ一つ反論し、新たな修正案を出すことである。中島さんには政府や東電への表向きの利害関係は何もないわけで、池田信夫が「素人」よばわりするしか対抗手段がないのも宜なるかなである。

児玉先生の提言にもあるように、原発事故については、それぞれの事象に関するデータを公開し、対応できる科学者を募るべきである。汚染水浄化プラントにおいても、「思惑」優先の決定が行われたために、実際の目標である汚染水問題の解決は遅れている(あるいは失敗しているのかもしれない)。原発における「科学技術」は「文系的思惑」にがっちり首根っこを押さえられた奇形の技術である。中島さんのブログに指摘があるように、燃料の廃棄やプラントの解体を念頭におかない発電所の建設というのはエンジニアの考え方としてはあり得ないだろう。政策決定者への自然科学者の大幅な起用こそが、この危機において政治家に求められている判断である。

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古賀さん 大阪維新の会に行って大阪をまず変える仕事なんてどうでしょう。結局はどれだけ優秀でも信念がない人は既得権の卑怯な飴と鞭の前に皆願える。橋下さんと同じく信念と勇気があるのは古賀さん!
改革は大阪から
2011/08/08 02:53

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