読書の記録

アクセスカウンタ

zoom RSS 復興構想会議に見られる科学軽視

<<   作成日時 : 2011/07/13 23:22   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

近現代の科学の急速な発展と、それに伴う社会の変化は、人々の生活レベルを大幅に向上させたが、一方で新たな問題も生じている。この新たな問題の中には、従来の人文科学や宗教が取り扱ってきたような人間の心の問題もあるが、一方で科学の進展が急速すぎたために生じていると思われる問題もある。こうした問題の解決に、従来とは異なる全く新たな思考の枠組みが必要かどうかについては、まだ明瞭な結論はでていない。しかしながら、昨今の出来事の中には、従来の枠組みの中で採用されたアプローチが失敗を重ねていることを伺わせる例が数多く見られる。政府の政策決定者は、科学者を政策決定に取り込まないで、どこまで自分たちだけでやれると考えているのだろうか。

民主党による「政治主導」が実際には空疎で、官僚主導を拒否することによって単なる大きな政治的な空白が生じていることは、既に多くの人が認識していることと思われる。一方であまりに大きな空白が生じたために、これまでは隠蔽されてきた様々な瑕疵が表面に浮上するようになった。決して歓迎できる状態ではないが、今見えている混乱は新たな仕組みを打ち立てる上で重要な材料を与えている。

東日本大震災を受けて「復興構想会議」が設置された。これは、「我が国の叡智を結集し、幅広い見地から復興に向けた指針策定のための復興構想について議論を進め、未来に向けた骨太の青写真を描いていきます」という趣旨で、15名+1名の特別顧問(梅原猛)で構成されている。学問的、社会的な意味での構成員の背景の偏りには興味深いものがある(官僚のイメージする「我が国の叡智」がこのメンバーである)が、ここでは会合初期におけるエピソードを取り上げてみる。議長の五百旗頭真による復興税への言及が、会議が財務省の影響下にあることを匂わせて話題になったが、原発事故の取り扱いも相当酷いものであった。議長は原発事故を議論から外すことを最初に提案し、委員から反対を受けている。顧問は「原発で生活が豊かになったが、その文明が裁かれている。この裁きに対してどう答えを出すか」と訴えたことが報道されている。議事要旨は公開されているが、発言者は特定できない(自由闊達な意見を述べる上で、発言者を公開することにデメリットがあるという理由であるが、復興に向けた建設的な意見を述べる上でどうして匿名にする必要があるのかは不明である)ので詳細な分析は困難であるが、報道された発言者については間違いないだろう。全くもって不思議な点は、当時から現在に至るまで原発事故の収束の過程は確定したものでないにも関わらず、「原発事故を外した」議論が可能と議長や事務局の官僚が考えていたことである。放射線被害はどのくらい継続するのか、あるいはそれらの規模はどの程度になるかが全く予見できない状況で、そのような提案が出てしまうことは復興会議そのもののレベルを疑問視させる。放射能の影響如何では、住民が生活できる地域の面積やあるいは農業、漁業の可能性についても相当な制限を受ける。それほど重要な要素をおいて何をどう議論しようとしていたのか、不可解というほかない。

6月25日に至り随分いろいろな資料が揃い、具体的な提言が見えてきている。その中には地域のグランドデザインや、あるいは防災の工夫が描かれている。資料を見る限り、相当細かなところまで提言されるようである。委員には建築家、都市工学の専門家、防災の専門家がそれぞれ一人ずつのようであるが、これはかなり大きな負担ではないかと思われる。こうした提言の原案がどこから出てきたかは分からないが、たたき台の修正、改善を議論するとしても、他の委員は全くの素人であり、実質的な役には立たないだろう。

委員に脚本家の内館牧子が採用されているのも不思議であるが(彼女はどのように構想に貢献できるというのだろう)、より問題が大きいのは僧侶で作家でもある玄侑宗久の参加ではないだろうか。僧侶というのは「こころ」の専門家として招集しておいた方が無難だろうという配慮があったのだろうが、彼の(緊急)提言はいずれも復興会議の対象とする大きなテーマと比較すると問題が小さい。重要ではないとはいえないが、今この会議でどうしても議論すべきテーマかというと適切ではないものが多い。いろいろなソースのニュースを拾い上げては、まとまりなく陳情しているという風情で、本来彼に期待されていた役割とは違うのではないかと思う。提言の文章の調子を見ると意気込んで参加されていることは伺えるが、方向性が良くないように思う。いきさつはわからないが、原発事故で被曝した家畜への対処(安楽死処分)について、彼からの質問事項に対して事務局がわざわざペーパーをまとめたりしている。家畜であろうが「いのち」の問題は譲れないのかもしれないが、現実に被曝している住民や事故対策の方が明らかに優先順位は高く、会議の貴重な時間を使って家畜の安楽死について何かを切々と訴えていたとすると大変残念な印象を受ける。彼の構想は「医療・福祉・研究・リゾート特区」ということであるが、医療、研究に関する提言はいかにも付け焼き刃で、「瞑想やヨガ、呼吸法や身体技術のほか、漢方医学やタイ式マッサージ、気功、鍼灸などあらゆる代替医療も準備されるべきだろう」という一節すらある。適切な評価法ではこれまで全く治療効果の確認されていない代替医療のオンパレードである。全体的に専門家軽視というか、こんな素人の提言を「我が国の叡智」が議論するのかと思うと残念きわまりない。

委員の顔ぶれが決まった時点である程度予想はできることではあるが、復興という機会を得て、もう少し具体的な専門家を集めて実質的な構想を練るわけにはいかなったのだろうか。特別顧問の意見などは、どこか別の場所で開陳していただければ良いように思う。文系的な知識人を集めて、大まかな方針を練るのかと思いきや、かなり具体的なところまで踏み込んだ提言を作ろうとしている。その提言は本当に現在の構想会議のメンバーの手に負えるものなのだろうか。各員の提出する資料を眺めてみても、きちんと訓練されたスタッフによる整理された資料もあれば、思いつきを並べただけのようなまとまりのないものもあり、委員の知的水準が必ずしも揃っていないことが伺える。原発事故後の報道では、質の低い科学者がたくさんいることが一般にも知れ渡ってしまったが、一方できちんと起用すれば復興計画の中で目覚ましい活躍をする科学者もたくさんいるだろう。最近、科学研究費が震災を名目に削減されるという話がでているが、文科省もそうした基礎科学軽視を漫然と続けるのではなく、研究をさせないのであれば、政策決定過程に参加させるなど高等教育を受けた人材を活用する術を考えるべきではないだろうか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
「科学的とはどういう意味か」森博嗣
Bad Scienceにおける著者のゴールドエイカーにも見られた傾向であるが、「科学」教育を受けた論者の現代社会に対する提言は、近年ますます直接的で、厳しさを増しているように思う。マスコミ的に言えば「現代社会の矛盾」ということになるのだろうが、現代社会の抱える問題点のかなりの部分は「科学」というアプローチを適切に採用すれば、今よりはよい対処ができるはずである。それにも関わらず、社会をリードするべき人たちの多くは「科学」を軽視、あるいは敵視している。社会に対していくばくかでも関心をもち、世の... ...続きを見る
読書の記録
2011/07/18 23:17

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
復興構想会議に見られる科学軽視 読書の記録/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる