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zoom RSS 「職業としての科学」佐藤文隆

<<   作成日時 : 2011/05/01 21:37   >>

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タイトル通り、職業としての科学の成立を歴史的に考察し、今後あるべき姿を議論している。ウェーバーを意識させるタイトルであるが、ウェーバーについての言及やその著作との比較は少なく、マッハとプランク、ポパーとクーンという軸をもって議論が進む。岩波新書ということで硬質の議論の展開を期待したが、著者の交友関係も紹介しながら(少々自慢話っぽい箇所もあるが)、自由闊達な話しぶりという印象を受けた。柔らかい分読者に対する適度な刺激があるが、著者の明確なビジョンが示されるわけではない。「あとがき」に本書のそうした構成の狙いが述べられているが、「確固たる信念をもつ指導者の説得に消耗するよりは、それらの退場を待った方が良い」と述べる著者は、若手による新たな「科学」クラスターの構築に期待を寄せている。著者は、事業仕分けの際のノーベル賞受賞者の声明のことなども念頭に置いているのではないだろうか。

科学に対するイメージは世代によって大きく異なり、私の世代の科学者は「プランク」的な科学は身近な存在として理解できるが、「マッハ」的科学については随分いろいろと想像しなければ理解は難しい。本書では、天才ばかりで構成されるわけではない職業的なクラスターとしての「科学」は始まったばかりであり、今もなお試行錯誤の段階にあることが指摘される。日本ではこの試行錯誤に「博士1万人計画」が加わることで、未曾有の高学歴の被害者が作り出されている。職業的なクラスターとしての科学の先行きは全世界的に明るいものではないが、震災の被害と原発事故を抱えた日本においてはより厳しいものになることは間違いない。個人的にはこのクラスターを維持することは、「プランク」的な姿勢では大変困難ではないかと思う。科学者クラスターの中からビッグサイエンスに取り組める集団は全体のごく僅かであり、多くの残りの科学者は年齢を重ねればお荷物でしかない。一部の科学者は研究室を運営し、次世代の優れた研究者を見いだすという役割を担うが、これも少なくとも生物系では一定の系列大学にその機能は集約されており、殆どの研究室は科学者の人材供給源とはなっていない。また、研究の裾野を広げて、予期せぬ斬新な成果を得るという可能性も、現在のように国立大学の研究活動のベースとなる予算が事実上ゼロの状態では期待することは難しい。

個人的には、「科学」の手法を理解できる市民を養成するための教育に、研究クラスターからこぼれ落ちた科学者を振り向けることこそが国力の増進に貢献することではないかと考えている。高校の理科教師に博士が採用されたという程度のことがニュースになっているのが現状であるが、より大胆に余剰博士を教育に取り込んでいく試みをしなければいけないのではないだろうか。実際、高等教育において「科学」的な手法を理解する機会は「文系」の学生にとってはあまりに限られている。科学技術振興機構では「政策のための科学」というテーマのもと、「科学」的手法を政策決定プロセスに反映させる取り組みが始まっているが、このホームページからは具体的な方策のイメージはうまく掴めなかった。

(参考:『諮問第11号「科学技術に関する基本政策について」に対する答申』抜粋)
・国は、客観的根拠(エビデンス)に基づく政策の企画立案や、その評価及び検証の結果を政策に反映するため、「科学技術イノベーション政策のための科学」 を推進する。その際、自然科学の研究者はもとより、広く人文社会科学の研究者の参画を得るとともに、これらの取組を通じて、政策形成に携わる人材の養成を進める。


個人的には、「広く人文社会科学の研究者の参画を得る」という文言が入ることからして、基本方策が中途半端なものであるような気がしてならない。「科学技術イノベーション政策のための科学を推進する」という文言も具体的に何を指すのかさっぱり分からない。政策決定のために何か特別な「科学」を実施するというのは本末転倒で、政策決定のプロセスに「科学」的な考え方を取り入れることが本筋である。予算を付けて何らかの政策のための「科学」を推進しようという方針自体、答申を作成した人物が「科学」についての認識を正しく持っていない証左のように見える。「科学的な手法、考え方をしっかり身につけた人間を政策決定の場で活かすこと」こそが重要であり、文言いじりにたけた口先ばかりの人物を少しでも減らすことが同様に肝腎である。両者は現在の政策決定の場では絶望的な比率の差をもつと考えられるが、この機会を活かさなければ日本の浮上は危ういと思われる。いわゆる「官僚文学」に長けた人物を排し、いくらかでも自然科学研究者が政策決定に関わるようになることが大きな変革をもたらすはずである。

本書では、ポパーやクーンについても一定の評価が与えられているが、個人的には、両者は非科学者が「科学」を非科学クラスターに誤解を生むような方法で紹介している点でマイナスの印象しかない。両者の著作を通じて、いかにたくさんの「非科学者」による非生産的な議論が交わされたことかと思うと、その罪は重いのではないかと思う。「科学」クラスターに属する(属していた)研究者による発信が今ほど必要な時期はないのではないだろうか。集団の意志決定における「科学」的手法の重要性は、民主主義や資本主義という不完全な仕組みを補完するために、広く認識されなければならない。その際の「科学」は、経済学や政治思想のいう「科学」のような言葉としての科学ではなく、真の科学的アプローチのことでなければいけないように思う。日本では、意志決定者の思考から「科学」の方法論が決定的に欠落しているように思われるが、この現状をどのように改革すれば良いのか、本書は歴史に学ぶという方法でたくさんのヒントを与えているように思う。

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「科学技術イノベーション政策のための科学」は何を目指しているのか
以前の記事で「政策のための科学」が必要という戦略的想像研究推進事業における考え方に疑問を呈した。「政策のための」科学ではなく、科学において採用されているアプローチを政策決定に活用することが大事という主旨で、具体的には、「政策のための科学」などというよく判らない代物を新たに創り出すのではなく、科学の手法に長けた人材を政策決定に活用することが重要というのが私の考えである。そもそも科学で得られた知識を社会に活用するためのプロセスを「科学」として新たに打ち立てようなどという試みは国際的にも例がない... ...続きを見る
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2011/07/09 20:29

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