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zoom RSS 「脳科学の真実‐脳研究者は何を考えているのか」坂井克之

<<   作成日時 : 2009/10/18 22:18   >>

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興味深いコメントをいただいたことをきっかけに、「研究者からの科学の発信と社会の受容」という問題についてしばらく考察を続けたが、本書の出版は私にとって非常にタイムリーなものとなった。筆者は東京大学医学研究科の准教授で、本書の用語でいえば「脳研究者」であって「脳科学者」ではない。空前の脳科学ブームは、本職の研究者にとってはさぞかし困った問題に違いないとは想像していたが、本書の内容はそうした浅い愚痴のようなものではなく、非常に真摯な考察であった。現役研究者が実名でここまで自分の考えを問うということは大変勇気のある行動であり、非研究者にとっては何が思い切ったことなのか分かりにくいかもしれないが、個人的にはインパクトのある内容だった。うがった見方をすれば、研究費獲得の心配が少ない東京大学であるから書ける内容とも言えるが、研究費を獲得する上で本書を執筆することはマイナスの可能性こそあれプラスに働くことはない。やはり、一研究者としての問題意識が動機となっているのであろう。

最初は「脳トレ」や「ゲーム脳」の研究者からの批判で始まるが、著者はそうした浅い切り口でこの問題を捉えていないことがすぐに判明する。「そこまで生硬に考えなくても」などと思いながら読み進めていたが、研究者を取り巻く環境にまで話が進むと全くもって他人事とはいえない気持ちにさせられる。研究者の間では、誰がどう考えても一般社会にはすぐには役立ちそうにない研究課題に対するいい加減なあこがれの気持ちがあるのだが、それは、そうした課題に取り組む研究者は余計な作文をしなくても良いだろうという想像から来ている。即ち、殆どの科学者は、「まあないだろうな」と思いながらも、「本研究の社会に対するインパクトとしては・・・」などという文章を、研究費獲得のために書かざるを得ないのである。社会に対するインパクトが限りなくゼロであることが自他共に明らかな課題であれば、それほど無理をして書くことはない(実際は分からないが)。著者の分野はそういう意味では大変厳しい分野である。世の中の役に立つという作文であれば、それこそいくらでも書けるのであるから、科学的な厳密性を気にしながら研究費を申請していたのでは、他の「いい加減な」あるいは「魅力的な」研究者との競争には勝てないだろう。著者は、「脳科学ブーム」は報道や大衆の知的水準や企業の広報といったすぐに想像できる要素だけではなく、「脳研究者」が研究費を獲得するための少しの不誠実さや、研究費の申請書のそうした不誠実さを見抜けない審査システムそのものにも遠因があると考えている。研究の高度化は、専門性を高め、同時にあるテーマについて適切に研究を評価できる研究者の数を減らしている。審査員は科学者としては経験のある人間であるが、まさに審査すべき課題については専門家ではない。それでは、そうした審査員に高い評価を受けるためにはどうすべきか。こうした構造的な問題が、「脳科学ブーム」を下から支えているというのである。ここまでくると、決して脳科学だけの問題とは言えないだろう。わざわざ一章を当てて「研究者のダークサイド」が説明されている。

個人的には中高等教育における科学的態度の指導が、国内において大変厳しい状況にあることを改善すべきであると感じている。少なくとも高校の理科教員のレベルは、疑似科学を適切に退けるだけの態度を維持して欲しいものであるが、現実は必ずしもそうではない。また、最先端科学については同業者の評価しか依拠すべきものはないのであるから、「偉い」立場の科学者には高貴な責任があるはずなのであるが、そうした「科学に責任をもつ」ことに対する教育や指導を研究者が受けることはない。そのため、時々大事故が起こっている。著者の最後の「マニフェスト」は、科学の思考の過程を一般に向けて誠実に説明していくことこそが科学者からの情報発信であるという意見であり、全く同感である。ただ、著者も心配するようにそうしたことができる研究者が、そうしたことに時間を割いていたのでは科学の進歩がないというジレンマは依然残っている。やはり科学という態度を身につけた人間の層を厚くしていく他はないのではないだろうか。

個々の脳研究についてのコメントもなかなか厳しい。「脳と心についての不良設定問題」の項目には、そもそもの問題設定の不適切さ、科学としての胡散臭さが詳しく説明されており、一流雑誌といえども、あるいは一流雑誌故の「非科学」性が何故生じるのかが解説されている。他分野の人間として感じる漠然とした胡散臭さの理由がすっきりと説明されていて、個人的には大変勉強になった。

一方、「情報を与えられてからの選択」という誤謬が、脳画像解析においても大変分かりやすい形で表れていることは大変興味深い。著者も後付けのフォーカスを「なんちゃって仮説」という言葉で説明しているが、この問題はそこそこ経験を積んだ研究者であっても陥りがちな罠ということであろう。

著者は脳科学領域の研究者であることから、分子生物学を実体を伴う明瞭な研究分野としてしばしば比較対象としているが、「隣の芝生は青い」という言葉を想起させる。生物学は他因子の複雑系であり、要素還元主義ではない全く新たな解析手法を私たちが手にしない限り、博物学的なアプローチを超える、斬新な発展はないのではないだろうか。統計学を始めとする数学にその可能性を期待しているのであるが、それが現実のものとなったときに果たして自分が理解できるのかが不安である。

科学者にとってはいろいろ考えさせすぎる本書であるが、科学者ではない人たちにとっても、科学者の本音が公開された貴重な一冊である。

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