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zoom RSS 「無駄学」西成活裕

<<   作成日時 : 2009/04/19 00:33   >>

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渋滞学」の刊行により広い方面で反響を得た著者が、自らのテーマを発展的に展開したものが、この「無駄学」という位置づけになるようである。著者がおよそ10年間をかけてアカデミアにおいて研究を深めた中から生み出された「渋滞学」と、そこから約2年後に刊行された本書とを比較することは適切ではないが、同じ出版社から似たような体裁で出されているものの、二つの著作のポジション、および著者の姿勢は大きく異なるという印象をもった。

「渋滞学」において冴えを見せた理学的な指向と工学的なセンスの融合は、ひとまず本書では影が薄い。あとがきにもあるように、著者の視線はもう少し先にあるため、本書は「無駄学」を提唱し、その有用性を一般に知らしめるという戦略的な方針が採用されている。そのため、研究者として本書を読む上では、前著のような知的興奮はあまり得られない。

無駄を視覚的に表す工夫として「投入効果図」という図が採用されているのであるが、効用の増減については分かりやすいが、具体的に「無駄」の発生が視覚的に明示されるわけではない。また、トヨタの生産方式に高い評価を与えており、その説明にかなりのページ数が割かれているのであるが、これも「無駄」について関心のある読者であれば、お馴染みの知識ではないだろうか。また、PEC産業教育センターの山田日登志という「神」が登場するが、著者は現段階では「神」としてその直感力の重要性を指摘するばかりであり、これを理論化し汎用化するという方針は認められない。人間の直観の優位という問題は、問題解決や情報処理理論において今後避けて通ることができない部分であるが、本書ではそうした方向で著者らがどういうアプローチを取ろうとしているかはよく分からない。特に第五章の「社会は無駄だらけ」は、一般人へのアピールとして書かれていることは分かるのだが、話題が散漫で、小言じいさんの日記を読まされているような印象すらある。

著者が「無駄」を標的にしているのは、この問題が現代社会の機能不全と密接に結びつくものであり、もし良い処方箋が描ければ大きな価値があると考えているからであろう。しかしながら、最終章の資本主義に対する考え方や、「かわりばんこ社会」の提唱は、「渋滞学」の著者にしては考察が雑で、ナイーブすぎるのではないだろうか。尻切れトンボの印象もある最終章は、問題提起と取られて読むしかないが、著者がこれらの問題点をどのように解決しようとしているのかについてもう少し詳述して欲しかった。

本書の値打ちは続編として今後刊行されるであろう、第2弾、第3弾の成果次第と思われる。著者の能力とバイタリティをもってすれば、5年後くらいには斬新な冴えた解決法の糸口が提示されるのではないだろうか。「ムダ取りの歌」をCDとして歌入れしていたり(この時間は無駄ではないのだろうか)、実践の場に足を踏み入れすぎているように見えるところに、一抹の不安はある。また、「渋滞学」は十分面白い知的活動の様子を活写しているが、「渋滞学」は研究テーマとしてはしばらく放置、あるいはスローダウンするのだろうか。もしそうならば、少し残念なことである。

帯には茂木健一郎が「脳や生命の問題にもつながる大テーマだ」と、いつも通り、読んだのか読んでいないのか分からないようなアオリを書いている。その下には、まずは「見える化」から始めよう、というやはり見当違いなフレーズが印字されている。こうした宣伝を見る度に、出版社の編集者の知的体力の低下を感じさせられるし、本はもう駄目かもしれないと思う。

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