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zoom RSS 「叛逆としての科学‐本を語り、文化を読む22章」フリーマン・ダイソン

<<   作成日時 : 2009/03/02 23:47   >>

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フリーマン・ダイソンの精選書評とエッセイ集である本書の殆どは、著者が60歳から80歳の間におおよそ書かれている。老境における知的生産性には大きな個人差があるものであるが、本書に見られる著者の思索のしなやかさは驚嘆すべきものがある。科学者のエッセイとしては最高峰に位置づけられる作品であり、もっと早くダイソンの著作を読んでおくべきだったと反省させられる。科学者が文章を書くとき、特に一般の読者に向けて書く場合にどのような姿勢が適切であるのかということを学ぶ上でこれ以上の教材は少ないだろう。明晰な文章でありながら、読者を置いてけぼりにしない暖かい配慮があり、厳しい話題であっても読後に不快な印象を残すことはない。科学者や歴史上の人物のエピソードは、短いセンテンスで、抑えた筆致で描かれ、それが独特の効果をあげている。多くの歴史を作った科学者が晩年は自分の殻に閉じこもり、科学的には頑迷で醜態をさらしていたという指摘は厳しいものであるが、決してそれが糾弾になっているわけではない。科学以外に、歴史、特に核を意識した戦争にまつわる話題が収録されているが、人間に対する根底的な信頼感があるためか、どこかで希望のある将来を著者が信じていることが伝わる。

感銘を受けた一節を引用する。

今日の子供たちには、人間社会の貧しさや醜悪さ、軍国主義、経済的不正に対する叛逆として科学の手ほどきをするよう努めるべきだ。(「叛逆者としての科学者」より)


科学という姿勢に対してこれほど力強い言明もないのではないかと思われる。また、著者は科学を「信仰」するわけではなく、科学は詩と同様世界で遍く発達し、相互に互換性がある点で宗教とは異なるという指摘もしている。「科学至上主義ではない」と断りつつも、科学の力をこれほど分かりやすく説明している例もない。こうした明晰さと、一方で簡単には判断を下さない視野の広さと洞察が同居している点で、著者こそまさに科学者というものを体現している。科学者とはどうあるべきかを悩む若い科学者志望の方にはまさに最適な読書となるのではないだろうか。

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