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zoom RSS 「アウシュビッツ収容所」ルドルフ・ヘス

<<   作成日時 : 2008/12/25 00:02   >>

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アウシュビッツ強制収容所長ルドルフ・ヘスによる遺録であり、著者はその後絞首刑に処せられている。本書の裏表紙や、本誌の紹介では、しばしば「心をもつ一人の人間」という本書の一節が取り上げられ、ヘスが読者と変わらぬごく普通の人間であるという点が強調される。確かに、あからさまなモンスターで、全く人間らしい良心を持たない者こそが収容所長であったに違いないというナイーブな見方は、この手記を読めば覆されるであろう。一方で、幼少時の思い出に見られる家族に対する感情の希薄さ(特に妹に対してはヘス当人も強調しているように相当酷薄な印象を受ける)や、父親に対する屈折した思いを見ると、ことさら普通の人間ということを強調するのはやはり適切ではない印象も受ける。モンスターではないのだろうが、一方でアウシュビッツの収容所長としてまさに相応しい人物が最終的に選ばれているのだという感も拭えない。教会での懺悔の内容が家族に漏れていたという幼少時の出来事への異常な拘りの背景には両親からの強い抑圧が隠れているようにもとれる。当時のドイツにおいて、宗教家としての進路というのがどのような位置づけにあったのか、その辺りの事情について知識がないのでよく判らないところがあるが、家族からの圧力と宗教の欺瞞性とを鋭敏に感じ取るような少年であったことが述べられている。

アウシュビッツ収容所に関する記述はまさに圧巻であり、強い不快感を味わうことなく読み進めることは難しい。ユダヤ人というのは宗教的な問題であり、アメリカ社会における黒人のような外見から判断できるものではない。実際、現代においても誰々は実はユダヤ人であるという噂が表れるくらいで、表面的な要素で分類できる人種問題ではない。それにも関わらず、全くもって別種の動物の性質を記述するような、部分部分の描写は戦慄すべきものがある。所謂、異人種に対する差別感情というのは、表層的な違いに対する恐れや違和感に依るところが大きいように考えていたが、ユダヤ人問題を考えると単純ではない。日中、日韓においても、近しいが故の憎悪というべき感情は存在しているが、これほどまでに冷酷な対処はできるのだろうか。現在の日本人が同じ立場に立たされたときに、近隣の民族をここまで効率的に、かつ感情を差し挟む余地なく虐殺できるのだろうか。一般にはできるという想像がなされるが故に、民族浄化の問題は真剣に討議されるのであろうが、本書の記述を自分と地続きの人間の述懐として捉えることは困難であった。時代背景等は異なるものの、同じ行為を犯して果たしてこのような手記が書けるだろうか。こうした手記を几帳面に残したヘスという人物はどこか平凡な想像を拒絶するような側面がある。

後段の終戦間際の状況の描写の中で、抑留者を殺した空軍の曹長をヘスが射殺するくだりがある。アウシュビッツで大量のユダヤ人を虐殺していたヘスが見せる歪んだ正義感のようなものが凝縮されている箇所であり、非常に興味深い箇所である。ヘスはこの殺人に関して特に後悔している様子はないし、曹長は悪辣な腐った人物のように描かれている。無教養で粗野で愚かな人間に対する反発、特にそうした人物がある状況で非常に幅を利かしていることに対する腹立ちというのは、教育水準の高い国においてはよく見受けられる。所謂人間の屑とも言うべき収容者に対するヘスの態度は、到底受け入れられるものではないのだが、現代におけるある水準の人たちには拍手喝采で受け入れられるものではないかと思わされる。何故、社会にとって迷惑な人たちを適切に人間らしく取り扱わなければならないのか、この問題に関して私たちが強い信念をもたなければ、いつまで経ってもナチス的な問題から逃れることはできないように思う。

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