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zoom RSS おやじのせなか(朝日新聞)寺脇研

<<   作成日時 : 2008/06/17 01:05   >>

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日曜日の朝日新聞の教育面には「おやじのせなか」というコラムがあり、芸能人をはじめとする著名人が自分の父親を語っている。6月15日の「おやじのせなか」には寺脇研が登場していた。寺脇研と言えば「ゆとり教育」を推進した文部官僚であり、最近では映画評論家という肩書きだったり、「元官僚」による官僚批判という昨今のブームにも乗っかった活動が目立つ。高橋洋一ブームはともかく、この人が官僚批判とはと呆れる方も多いだろう。当人は型破りな官僚のつもりであろうが、非常に狭い領域をもとにした議論は当時でも違和感のあるものだったように思う。「ゆとり教育」は当時は比較的好意的に取り上げられていたように記憶するが、それでも推進者の寺脇研が登場してその意義を語り始めると、どこか周りの賛同者とは空気の違う違和感が醸し出されていた。現在「ゆとり教育」は見直しの方向であるが、高等教育に携わる人たちにとっては、十数年にわたってボディーブローのように効いてくる変革であり、多くの教育者は寺脇研の顔も見たくないだろう。

さて、「おやじのせなか」であるが、ここで筆者である寺脇研は無防備なまでに父親への反発心を述べている。「医者と言うより医学部の教授」である上昇志向の強い父親(恩師の娘と結婚するという念の入れようである)のもと、「偉くなれ」という方針で育てられた筆者は、父親への反抗心を軸に成長する。父親の教授時代の日記には「もっと頑張って、日本一の学者に、いや世界一の学者に」とあるという逸話まで紹介されている。どこまで真実なのかは分からないが、こうした記述から感じ取れることは、驚くべき幼稚さである。「世界一の学者」という
表現が如何に馬鹿馬鹿しい内容を含んでいるかは、本当の学者であれば分かることである。学問にはすぐれたものとそうでないものがあるが、世界一のものはない。こんなことは研究者であれば自明であろう。

こうした父親への軽蔑心すら伺える本文であるが、退職した父親がテレビで夜遅く電車に乗る塾帰りの子どもを見て、「いかん。私のようになるぞ。おまえ何とかしろ」というという記述が出てくる。これが「ゆとり教育」の原点とまでは書かれていないが、この発言が本人の官僚時代の方針に何らかの影響を与えたことは間違いないだろう。55歳にもなって、自分の父親との関係がうまく消化できないまま、このような文章を書いてしまうというナイーブさには驚かされる。そして、反発し、一面では軽蔑すらしている(サブタイトルは「偉大な反面教師だった」)にもかかわらず、官僚時代のテーマとなる「ゆとり教育」にはこの父親の色濃い影響が表れている。もしかするとそんなことも気づいていないのではと思うほど、親子関係が咀嚼できていない。

教育改革という万人に影響のある施策に、このような特殊な親子関係を持ち、甚だ未熟な人間がメインに関わっていたことには、改めて驚かされる。筆者は今でも自分がいう「ゆとり教育」と、失敗が指摘される「ゆとり教育」政策は違うと主張しているが、筆者の言う「ゆとり教育」というのは筆者の父親の限られた人生経験から導かれた方針であり、おそらく当時から周囲の人たちには理解されていなかったのではないだろうか。それが、当時賛同者と筆者の間に醸し出された違和感の正体のような気がする。

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寺脇研を
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2008/11/03 19:39
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