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zoom RSS 「文明としての教育」山崎正和

<<   作成日時 : 2008/06/11 23:18   >>

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著者は評論家かつ劇作家であり、筆者の世代では現代国語のテキストや入試問題でなじみ深い。「世阿弥」や「鴎外‐闘う家長」、「不機嫌の時代」、「柔らかい個人主義の誕生」など、いずれも今でも十分読み応えのある評論である。そのような読書経験を持つものからすると、今回の著作は口述筆記である点が誠に物足りない。後書きにあるように、口述筆記の場合はどうしても共同作業の枠から逃れることができないために、単語一つ一つが吟味されるということがない。大筋こういうことが言いたいという点は伝わるが、そうした言葉の取捨選択がないために(あるいはそれを他人に委ねているために)、鋭さや奥深さに欠けてしまっている。また、中教審会長になるというタイミングで発表された本書は、著者がいくら所信表明でないと後書きで主張しようが、紛れもない所信表明となってしまっている(あるいは所信表明と取らない鈍感な人にも分かるように、後書きで述べられているのだろうか)。委員はやはり本書を読まざるを得ないだろうし、読めばいくつかのタイプの議論が封じられていることが理解できる。反論するにしても、既に土俵がこしらえられているわけであり、著者のフォーマットを尊重して議論せざるを得ない。頭の良い人ほどそうした拘束をうけてしまうことは避けられない。著者がそうした効果に無頓着とはとても思えないので、このタイミングで教育についての著作を口述筆記で著すということは、それなりに議論をリードしていく意思を表したものと想像できる。

先に気になる点を述べたが、内容的には非常に説得力のある議論であり、再生会議の議論などとは雲泥の差がある知的水準の高いものである。終章の要約、「教育はまず社会統合のための統治行為であり、そのうえで個人の自己実現を援けるサービスであって、両者は分けるべき」という考え方は、まさに現代の教育の混乱を収拾するための素晴らしい指針といえる。著者の指摘する遵法教育もこうした土台のもとにあるのである。中教審のメンバーも再生会議よりはましではあるが、官僚受けのいい常連委員やタレントも多く、どの程度この著作中での議論が理解されるかは分からないが、少しでも良い方向に教育政策が向かうことを祈りたい。江戸時代から維新、昭和にかけての日本の躍進はひとえに教育の賜物であり、日本が誇れるもの、そして維持しなければならないものは平均的な国民の知的水準なのである。

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