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zoom RSS 「数学でつまずくのはなぜか」小島寛之

<<   作成日時 : 2008/04/05 02:15   >>

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数学の本を一般の読者が読む場合、いかに分かったような気になるか、あるいはそのせいで少し考え方が変わったように感じるか、といったところに醍醐味があるような気がする。私もこれまで何となくそういう方向で楽しんできたが、今回は少し考えさせられるところがあった。

「アフォーダンス」というのは著者も指摘するとおり難しい概念であり、少し間違えばオカルトのような、非科学性をにおわす用語であるが、著者が強調するポイントは帯にもあるように、数学の考え方というのは人間の頭脳にビルトインされており、それをどう展開させるかが数学を理解する上で重要ということだと思われる。この本でも、ああなんとよく判る喩えなのだろうと感じる部分と、やっぱりよく判らないなと思う箇所がモザイク状に見受けられる。これはうまく自分の中の理解の様式が引き出されれば、ぴったりと理解した気になるが、そうでなければピントこないということである。おそらくそのモザイク模様は人によって違うことだろう。しかも今回はじめて一般向けの数学の本で、「自分は完全には著者の記述を理解できていない」ということを明瞭に意識することができたように思う。

疑似科学の信奉者の特徴として、よく考えないということがあげられる。彼らの理解は一般に浅薄であり、科学を手続きとして最初から学ぼうとしない。「文系脳」にもそんなところがあって、自分が知る範囲の理屈をこねくり回すことには熱心だが、新しい原理を最初から学ぶことに対しては非常に腰が重い。今まで、そんなことを客観的に考えていたが、こと数学に関してはどうも自分も「イメージで理解したような気になる」「よく考えない」というカテゴリーにはまりそうである。かなり気が重いことだが認めざるを得ないだろう。

次にこの本の大事なところは教育の重要性を示しているところであろう。数学の話が沢山出てくるが、あとがきを読めば分かるようにこの本の真のテーマは教育である。誰も知らない未踏の荒野を開拓することも大事であるが、荒野に誰でも歩ける道を作ることも、同じくらいに重要な作業である。遠山啓の「数学入門」が登場するが、偉大な教育者、学術的な指導者というものも、開拓者と同じくらい稀な資質が要求される。世の中が良くなるためには、一般の人間がもっと科学を理解する必要がある。科学は宗教や哲学のような信念体系ではなく、考え方の手続きの問題であり、無条件に世界中の人々に必要な態度である。そうしたことを改めて考えさせられた。

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