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zoom RSS 「「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用」アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン

<<   作成日時 : 2008/01/09 22:56   >>

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いわゆる「ソーカル事件」として有名な著者による、哲学・人文科学分野における自然科学用語の濫用を告発した著作である。英題はFashionable Nonsenseで、原題を直接和訳すると「知的詐欺」というタイトルになる。実際にSocial Text誌に掲載された手の込んだパロディ論文も巻末に収められている。ソーカル事件とは、アメリカのカルチュラル・スタディーズ誌であるSocial Textに、ソーカルによって著された科学用語を濫用したナンセンスな引用に満ちあふれた論文が1996年に受理されたという事件を指す。当然ながら、その論文はナンセンスな悪戯としかいえない代物である。学術論文を掲載する雑誌というのは、通常、編集者が論文を受け取り、しかるべき複数の評価者にそれを送り、それらの評価を総合して論文を受理するかどうかを決定する。よって、ソーカルの論文は当該分野のエキスパートと考えられる複数の評価者によってそれなりの評価を受け、最終的な掲載に至ったと推察できる。

自然科学に携わる人間にとって最も衝撃的な部分は、その分野の研究者たちが誰一人としてお互いの著作に述べられている摩訶不思議な数式や、科学的叙述の意味を理解していない(そしておそらくは書いている本人も理解していない)にも関わらず、一つの学問分野が成立しているように見えるところである。ここで取り上げられる、ラカン、クリステヴァ、イリガライ、ラトゥール、ボードリヤール、ドゥルーズとガタリ、ヴィリリオといった著作家は多少程度の差はあるが有名な知識人であり、国内においても訳書が出版されている。おそらく国内にも数多くの研究者がかれらの著作を研究しているはずである。ソーカルは「王様は裸だ」と告発したわけであるが、これほど長い間、こうしたことが不問のままであったことは驚くべきことである。確かに自然科学の分野においても、訳本などでは訳者の先生が多忙なことが原因となって目をむくようなひどい誤訳や、日本語として意味をなさない文章が挟まれていたりする。しかしながら、それらは「ソーカル問題」とは随分趣が異なる。ソーカルの指摘していることはより根の深い問題であり、丁寧に説明が施されまた哲学者、人文科学者への周到な配慮が行われているが、究極のところ、1.彼らは自説の価値を高めるために、理解不能なナンセンスを科学の衣をまとった形で取り込む、2.読者や同業者は当然意味がわからないのであるが、前後の意味のわかる範囲から推論して「雰囲気」として著者の意図を理解する、という欺瞞が業界全体で起こっていることを明らかにしている。「ソーカル問題」に対する反論は、数多くの哲学者、人文科学者から行われたが、この究極の問いかけに対して誠実な回答が行われたケースは少ないようである。

理解できない難しいものはありがたいというのは幼稚な態度であるが、なかなか人間はこの範囲を抜け出すことができないようである。あるいは、YesともNoとも断定できないことは常に五分五分と考えることも間違っている。論理的に少しずつ考えを積み重ねることは多くの人にとっては手に余る作業であり、手っ取り早く結論が欲しいという誘惑にはなかなか勝てないというのが真実なのかもしれない。有名な知識人が語るからには、きちんとした裏付けがあるのだろう、あるいは理論的な背景があるに違いないと考えることは我々の怠慢である。本著で述べられている問題は、昨今の似非科学の問題にもつながるものであり、似非科学的な餌に食いつくのは必ずしも一般人に限らないと言うことを明瞭に示している。

個人的な意見であるが、人文科学といえども数学的な素養は必要であり、論理性を重用視するのであれば、もはや日本のアカデミズムに見られるような数学軽視は許されるものではないだろう。

余談になるが、著者は非生産的な言葉遊びとも言える作業に相当な労力を割いている。おそらくあっさり認められてしまうだろうが、結局は哲学、人文科学に対する愛情をもった物理学者なのだろう。私の知る限りは、科学的な態度の強い研究者ほど、言葉遊びや不毛な議論を嫌うのであるが、著者らはそうしたものを楽しむ素地を有しており、それがこの本のような希有の快挙につながったものと思われる。



「知」の欺瞞?ポストモダン思想における科学の濫用
岩波書店
アラン・ソーカル

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2010/02/27 10:56
「なぜ科学を語ってすれ違うのか‐ソーカル事件を超えて」ジェームズ・ロバート・ブラウン
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タイトルは出版社のアイデアなのかもしれないが、人文系の学者への配慮が逆効果をあげているようで、むしろ目を引くことになっている。著者は東京大学医学部出身で研究の展開により現在のポジションにいらっしゃるようなので、一般の方が「理系教授」として思い浮かべる人物像とはあるいは異なっているような気もする。本書は「人殺しはどうしていけないのか」という古くから取り上げられてきた哲学的な問いについて、自らの子どもたちを相手に分かりやすく議論するという内容である。理系らしさというのは議論の展開の方法に特に表... ...続きを見る
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2013/08/14 00:22
「科学嫌いが日本を滅ぼす―「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか」竹内薫
本書は新潮45の連載原稿をもとに加筆修正されたものとのことであるが、単行本化にあたり順序の入れ替え等の編集が施されているため、各項目は比較的まとまった内容の論説になっている。出版社と科学者の間のジレンマの一つは、その本をどう売るかという方向から生じる問題であり、著者の意図しないタイトルが付けられることや、あるいは帯でミスリーディングが与えられることは日常茶飯事である。それにしても著者の作品はきわどいタイトルが多く、著者が科学の応援団を自称する一方で、科学に対する誤解やあるいは攻撃のきっかけ... ...続きを見る
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2014/04/22 00:10

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